できるとなれば、しない

2019/ 12/ 10 (火)

 家の近くにパン屋ができた。パンの乗ったトレイの並んだカウンターが一列あって、すぐその向こう側で、パンを焼いている。まるで、一杯飲み屋を改造したような、小さなベーカリーだ。

 

 駅にもパン屋は2軒入っている。その味には少し飽きた。駅から家までの間にあったベーカリーは何年か前に廃業してしまった。もし、家の近くにパン屋さんがあったら、週末の朝、焼きたてのパンを買いに行けるのになぁと、夢見ていた。……ちょっと前までは。

 

 今は、週末の朝でさえパンを食べない。ホームベーカリーも眠ったまま。たまーに、自分が食べたい分だけをちょこっと買う程度だ。そんなタイミングで、かつて待望していたパン屋ができたのだ。一度は寄って、あれもこれもと買って帰り、ひとりで美味しくいただいたが、それっきりだ。朝からわざわざ買いに行く……なんてことはしようとも思わない。

 

 遅かったんだよ。あの頃だったら、私は喜んでキミの元へ通ったのだ。早朝から、かすかに漂ってくるパンの匂いに引き寄せられるように、お財布一つ持って早足で、いそいそと向かっただろう。どっちから開けたらいいのか分かりにくい引き戸も、ちょっと高めのカウンターも、細長くて薄暗い店内も、愛しただろう。でも、今はただ、どこかのジャストタイミングな人と、末永く幸せでいてくれたらそれでいい。たまに、その幸せを分けてもらいに行くだけで充分だ。

 

 現在私は、「行きつけ」にできる喫茶店が家の近くにできるのを待っている。待っている私を、また未来の私は裏切るかもしれないけれど、そんな店ができる可能性は限りなく低いから、この夢はきっと長く続く。

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なにか逃している

2019/ 12/ 06 (金)

 

 美容室に行くと、自分で選ばずとも何か雑誌を置いてくれるから、興味があろうとなかろうと、暇に任せて隅々まで読んでいたものだった。けれども、最近は電子書籍リーダーを渡されて、dマガジンで選び放題だ。じっくり読むことはなく、家でやっているのと同じように、さわりだけ見ては次々に別の雑誌を開く。好みの記事だけたくさん読めるのだから、その方が有意義、だろうか?

 

 でも、例えば単語調べなら、分厚い辞書を開いて引いて、例文まで読んで、ついでに前後の単語も見たり、前にアンダーラインを引いた単語を見つけて、ああそういえばと思い出したりする方が、ピンポイントにその単語の意味を電子辞書などで知るよりもずっと有意義だ。それと同じように、ただ興味のある記事を見ているだけでは、その合間や周辺にある何かを、逃してしまうような気がしてきた。

 

 とはいうものの、美容室で渡された雑誌をつらつら読んでいた頃に、何か良き発見をしたことがこのウン十年にあったか? って考えたって思いつかないんだけど。

 

 テレビもリアルタイムでは観ない(観たいものしか観ない)し、本屋さんでゆっくり本を選ぶということもなくなった。電車でも喫茶店でも、暇があればスマホを見ている。そうやって、好きなものだけを効率よくピックアップしているつもりでいい気になって、知らないうちにすぐそばにある何かを、逃してしまっているんじゃないだろうか。新しい発見とか、知識とか、ステップアップのヒントとか、夢や希望や明日への活力とか……そんなに有意義じゃなくても、ちょっとした、何かを。

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小風邪

2019/ 12/ 03 (火)

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 風邪をひいたらしい。日曜日から、ちょっとずつ色んな症状が出ているが、それぞれ本当にちょっとずつで、なんとなーく万全じゃないことだけが分かる。ぞわぞわとした、いやぁ〜な感じだ。

 

 いやぁーな感じといえば、「そこに居ない人の話」にどう対応したらいいのかというのがある。悪口、陰口、噂話ならば、そんな「場」を見限ればいいだけの話だが、そこまで下品でもない、なんというか、Aさんに関する共通認識を、Aさん以外の仲間で互いに確認し合う、「私の知っているAさん発表会」みたいなものが始まると、その流れに乗り切れない私がいる。

 

「Aさん、この間、こんなこと言ってたわ」「へぇー、そうなんだー、意外」「私が知ってるのはこんなことよ」「うそ、そうなの? すごいのね」「でもこうだったりもするよね」「わかるわかる」……と盛り上がる。私も一緒にニコニコして聞いている。知らないことを知るのは正直言って楽しい。

 

 そして、みんなとは他の場所でAさんと係る私は、また別のことを知っている。秘密でもないし、悪口にもならない話だとは思う。きっとみんなは「わぁー、そうなの?!」という反応をするだろう。でも、だからこそ、言わない方がいいかもと、もうひとりの私が制する。もちろん、Aさんに「みんながこんなこと言ってました」と言う気もさらさらない。

 

 そんなふうに、誰とも共犯者にならず、知るだけ知っておいて、あっちにもこっちにもいい顔でいようとする自分を、なんとなくいやな奴だなーと思う。

 

 と、ここまで書くのにも時間がかかったし、例えばと、その具体例(に代わる話)を考えていたら、あっという間に夕飯の支度の時間になってしまった。ブログにはいつも時間がかかる。もっと簡単に、「これ」を言った(書いた)方がウケる(面白いという意味ではなく)んだろうなとは思うのに、そう知っているからこそ言えなく(書けなく)なる。ブログのタイトルだってそうだ。「これは面白そうに見えるタイトルだ。でも、内容は大したことない」と気づいてしまえば、却下する。人がクリックしたくなるようなワードは、知っていて入れないようにしている。まるで、読まれたくないみたいだ。

 

 バリアを張ってる?

 

 それこそ簡単に言えば「人がしているのを見て嫌だなと思うことはしたくない」という、ただそれだけなんだけど、それだけじゃない気もしている。なんとなく、いやぁ〜な感じ。

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