面白い人

2019/ 04/ 13 (土)

 バラの根元のパンダスミレ(和名:ツタスミレ)

 去年、実家に植物を疎開させるにあたって、鉢数を減らすためにパンダスミレをバラの根本に移植した。実家の庭では、マンションと違って根元までよく陽が注いだからだろうか、バラの葉も下の方からよく繁り、パンダスミレも隙間を埋めるように広がった。スミレ仲間のビオラやパンジーのようには、たくさんの花をつけない。そこがまた可憐だ。

 

ーーーー

『面白い人』

 

 トラタニさんは少し神経質だ。電車の中で誰かのイヤホンの音漏れが聞こえてくるととても気になる。

「なんかイライラしちゃうんですよー」と、職場の先輩とのランチの席で、トラタニさんはこぼした。

 すると右前に座っていたウシヤマさんが、

「そういう人ってさ、周りが見えてないんだよね。病気よ。ぜったい病気!」と、フォークの尻をテーブルにトンと当てた。「だいたいさ、なんで電車の中で音楽聴くわけ?」

 

 トラタニさんは「音漏れが気になる」と言っただけであって、音楽を聴くのはその人の自由だと思ったけれど、それを言う代わりに、「語学の勉強をしている人もいますね」と言ってみた。ウシヤマさんは「えー? 英語やるなら絶対に英会話教室に通うわ。そんなん満員電車の中で聴いてたって、実際に会話しなきゃ無理よ、無理。だいたいさ、大きな音で聴いてるってことは、リスニングができないってことだよね」と、決めつけも甚だしい。

 

 いつもそんな感じだ。決めつけと批判。他の人のすることや考え方が自分と違うと、それぞれにあるはずの背景を想像することもなく、全て自分本位の狭い視野の中で評して片付けてしまう。そうして「まあ、私には関係ないけど」と言うのだ。関係ないなら黙っておけばいいのにと、トラタニさんは何度思ったことだろう。トラタニさんはウシヤマさんが苦手だ。

 

 その時、それまで黙ってパスタを口に運んでいたヒツジダさんがフォークを置くと口を拭って、「私はね、」と話し始めた。

「私はそういうとき、その人の前で踊ってやろうか、って考えるのよ」 

 そう言うとヒツジダさんはニッと笑って、踊るように両腕をちょっと動かしておどけてみせる。「ほら、音漏れに合わせてさ」

「それ、いいですね!」

 想像すると可笑しくて、トラタニさんも思わず笑ってしまった。

「でしょ? もちろん、本当にやるわけじゃないけど、どうせなら面白いこと考えた方が楽しいじゃない?」

 

 隣りでウシヤマさんは知らん顔をしていたけれど、トラタニさんはヒツジダさんの考え方が気に入った。そうして、今度なにかあったら、「ヒツジダさんならこういう時、どういうふうに考えるだろう」と、想像してみようと心に決めた。

 

 そうだ。たとえばウシヤマさんのことなら、どうだろう。ヒツジダさんなら、「ウシヤマさんは独特な視点を持った面白い人だ」と考えるだろうか。トラタニさん的には、「ウシヤマさんは、独特な視点を持った面白い人だと自分のことを思っている面白い人」だけど、それでも「面白い人」だと思ってみたら、ウシヤマさんへの苦手意識は少し減った。

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右岸のウコン

2019/ 04/ 10 (水)

 事務所のそばの、薄い黄色のウコンザクラ。

 先週も同じ橋を渡ったのに、桜色にばかり気を取られ、見逃していたらしい。立ち止まってよく見れば、橋を囲むようにして両岸にウコン桜が咲いていた。

 

 毎年、黄色い鬱金桜か、緑の御衣黄(ギョイコウ)をどこかに観に行きたくなるけれど、今年は無理だろうな……と思っていた。それがこんな身近にあったとは嬉しい。来年はもっと早くからこの花が咲くのを見守ろうと、楽しみが増えた。

 

 写真は昨日撮ったもので、今日は冷たい雨の一日だった。

 一時間かけて、新しく受講生になる人達の名札を作った。ホルダーは使いまわしなので、前期の人の名札を抜いて、今期の人の名札に差し替える。携わっていない講座のものではあるけれど、そこはほら、「雑用の達人」の出番である。私が行っているA区では、区の方で名札を用意しておいてくれるのだが、それも「誰か」がやってくれているのだな……。

 

 名前を45個印刷したのを切り離し、一枚一枚ホルダーに入れていく。当たり前だけど真っ直ぐに切って、真っ直ぐ真ん中に入れる。汚れた(ボールペンなどペンの痕がつけられている)ホルダーは避ける。蓋はぴっちりと留め、ストラップは真っ直ぐに伸ばして、長さを調節する為の金具も一定の位置に戻した。

 

 そうしておけば、誰も、何も、思わない。

 ただの名札だ。 

 誰にも何の関心も持たれない仕上がりが、正解だ。

 

 雑な裁断だったり、汚れていたり、曲がっていたり、いかにもな使い回し感があったりすると、中には「あれ?」と思う人がいるかもしれない。だからといって文句も出ないだろうし、名前さえ間違っていなければ問題はない。間違っていたって直せばいいくらいのものかもしれない。

 でも、「ちゃ〜んと」できていたら、だ〜れもな〜んにも感想を持たずに首に掛ける。目指すのはそこだ。

 

 私も、自分が行っているB区の名札について、今まで何も関心を持たなかった。ちゃんとできていたからだ。何か不備があれば「どういう人が作ったんだろう?」と考え、問題がなければそこに「人の手」があることを忘れてしまう。

 

「ちゃんとしているのが当たり前だと思ってはいけない。どんな些細なことでも、誰かがやってくれているのだということをいつだって、何だって、忘れてはいけない」とかなんとかお説教されそうだけれども、実際、「ちゃんとしているもの」については背景を見逃しがちではないだろうか。「ちゃんとしていないもの」を見つけて文句を言う人の方が、「ちゃんとしているもの」を認めたり感謝する人よりずっと多いのが現実だろう。

 

 雑用の達人としては、ちゃんとしていて見逃されるような仕事をしていこうと思うのであった。

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まっさらから始めたい

2019/ 04/ 08 (月)

 次の日曜日に新しい冷蔵庫が来る。
 今あるものが壊れたわけではないが、15年近く使ったのでそろそろ替えどきかなと思っていたところに、「今でしょ」というきかっけが巡って来たのだ。

 

 とはいえ、繰り返すけれども、壊れたわけではないし調子が悪いわけでもない。冷蔵庫は今日も至って健気に任務を果たしてくれている。旧いものは電気代がどうのというが、そんなの大した理由にならない。正直に言えば、容量や機能的に「もっといいのが欲しくなった」だけだ。

 

 欲しかった時には、ただただ新しいのが欲しかったのに、いざ買い替えが決まると、急に何かに申し訳ないような気がしてくるのもゲンキンなもので、今の冷蔵庫を開けるたびに「いつもありがとねー」と心の中で声をかけたりして、まるで「自分から別れを言い出して別れると決まった相手には急に優しくなる」っていうサイテーなやつだなあと、思ったりなんだりしている。

 

 さて、このパソコンも替え時だ。電池が劣化してきて、勝手に電源が落ちるようになった。ネットで調べて「こうするとよい」と書かれていることは試したけれど、やはり落ちる。今さら電池交換するのもなぁと、アップルのサイトでああでもないこうでもないと迷い、ネットの記事を探してはこの機種にするか、あの機種にするかと考えた末に、「これ!」というのをショッピングバッグに追加して、あとは最終ボタンを押すだけ……となった。

 

 でもこの、(って言っても見えないだろうけど)MacBook Airの、現行モデルにはない11インチのサイズ感が気に入っているし、「もっといいのが欲しい」とは思っていないのも事実だ。以前は新型が出るとすぐ惹かれたけれど、今はもう、私の使用レベルではスペックの違いなどほとんど意味がない。今のうちにバックアップを取っておけば、買うのは壊れてからでも遅くないのかもしれないな……。

 

 ……あ、冷蔵庫の買い替えでうれしいことをひとつ思い出した。置いてある場所の掃除ができることだ。冷蔵庫の裏とか、すごいことになっているだろう。すっきりしたい。

 

 それに、新しい容れ物はきっとまっさらで気持ちがいい。

 せっかくだから、中身もまっさらから始めたいところだけれど、冷蔵庫もPCも、そうはいかないのよね……。 

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