雲母坂もんだい

2019/ 04/ 23 (火)

 通りかかったハローワークの生け垣のツツジがきれいに咲いていた。立ち止まって写真を撮りたかったけれど、警備のおじさんに「ごくろうさまです」と言われてiphoneを出しそこなった。私はただの通りすがり。おじさんこそご苦労さまです。

 

 新しいMacにデータを移行して、なんとなくいろいろ見ていたら、ユーザー辞書の中に登録した覚えのない「雲母坂(きららざか)」というのがあった。私はいつ、どうしてこんな単語を登録したんだろうと、いつものように自分の忘却力に関心しつつ、忘れてしまった面白いことでも思い出せるかと期待して「雲母坂」を検索してみた。するとそれは、「京都市左京区修学院の修学院離宮の脇より比叡山の山頂に至る古道である」とある。おお、京都か……と、遠い目になったのも束の間のこと。実は、iosをアップデートしたら登録していたユーザー辞書が消えて「雲母坂」だけが残るという、iphone、ipad界隈にうごめく都市伝説らしい。関連記事がいくつもあってちょっとがっかり。それにしても、どうして「雲母坂」なんざんしょ。

 

 ところで、今日はなんと、行かなくていい仕事に行ってしまった。行かなくてよかったのだと知ったのは(Lineやメールではなく会社のサーバー利用のメッセージに気づいたのは)、帰りの電車の中だった。それまで普通の一日と信じていたから、「ああ、お休みだったのに〜」という、なんとも損をしたような気分になった。まあ、タダ働きになるわけではないので厳密には損ではないけれども、お休みの方が嬉しいに決まっとる。しかもそれは、日曜日に来たメッセージであったのだから、本来なら「わーい、火曜日はおやすみだー」というルンルン気分を昨日も味わえたはずだったのだ。どうして気づかなかったのか……サーバーの不具合を疑うべきか、単に私の粗忽さが原因なのか……(それだよ)。

 

 その連絡をくれた方は、朝、私が事務所に現れても特に何も言わなかった。ただ、いつものPCが使えなかったので(休みでいい理由はそれだったのだが)、他のを使うことになった。あとはいつものように、質問をすれば普通に答えてくれて、変わりはなかった。そうして、いつものようにお先に失礼して、帰りの電車で件のメッセージに気づいたわけなのだが、最初は、どうして今日、何も言ってくれなかったんだろう(笑ってくれてよかったのに)と考えた。でも、「休みでいいって連絡したのに……」とかなんとか言われていたら、出社した残念感はもっと大きくなっていただろうと思い直した。いつも通りに自分の仕事ができたからこそ、時間を無駄にした感がなかったのだ。先生も、「メッセージに既読が付かないから、サクライさん、きっと来るわ。来たら他のPCを使ってもらわなきゃ」くらいには思ってくれていたんだろう。いや、返事がなくてイラッとしていたかもだけど。改めて、この人は余計なことを言わないタイプなんだな、とわかった出来事でもあった。いや、言う価値もないからか。あーばかだ。まあ、重要なメッセージなら、手を変え品(アプリ)を変え再送信してくれていたはずだから、今回は特に問題にはならなかったとしてこれから気をつけようそうしよう。  

 

 とまあ、どうでもいいことでも書かないと書けないからとりあえず書いてみようと書きはじめたらそこそこ長くなってしまった。

 ……と書くと、とりあえずな感じでテキトーに書いたものを読まされた読者はどうなるのか問題が発生して申し訳ないのだけど、じゃあ、テキトーじゃないと言えることを書いたことがあるのかといえばそういうわけでもないわけでして……「読んでもらう」「読んでいただく」という意識はどこまでしたらいいのやら。

 

 書くことが何もなきゃ「雲母坂」とでも書けばその方がよいかしら。

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面白い人

2019/ 04/ 13 (土)

 バラの根元のパンダスミレ(和名:ツタスミレ)

 去年、実家に植物を疎開させるにあたって、鉢数を減らすためにパンダスミレをバラの根本に移植した。実家の庭では、マンションと違って根元までよく陽が注いだからだろうか、バラの葉も下の方からよく繁り、パンダスミレも隙間を埋めるように広がった。スミレ仲間のビオラやパンジーのようには、たくさんの花をつけない。そこがまた可憐だ。

 

ーーーー

『面白い人』

 

 トラタニさんは少し神経質だ。電車の中で誰かのイヤホンの音漏れが聞こえてくるととても気になる。

「なんかイライラしちゃうんですよー」と、職場の先輩とのランチの席で、トラタニさんはこぼした。

 すると右前に座っていたウシヤマさんが、

「そういう人ってさ、周りが見えてないんだよね。病気よ。ぜったい病気!」と、フォークの尻をテーブルにトンと当てた。「だいたいさ、なんで電車の中で音楽聴くわけ?」

 

 トラタニさんは「音漏れが気になる」と言っただけであって、音楽を聴くのはその人の自由だと思ったけれど、それを言う代わりに、「語学の勉強をしている人もいますね」と言ってみた。ウシヤマさんは「えー? 英語やるなら絶対に英会話教室に通うわ。そんなん満員電車の中で聴いてたって、実際に会話しなきゃ無理よ、無理。だいたいさ、大きな音で聴いてるってことは、リスニングができないってことだよね」と、決めつけも甚だしい。

 

 いつもそんな感じだ。決めつけと批判。他の人のすることや考え方が自分と違うと、それぞれにあるはずの背景を想像することもなく、全て自分本位の狭い視野の中で評して片付けてしまう。そうして「まあ、私には関係ないけど」と言うのだ。関係ないなら黙っておけばいいのにと、トラタニさんは何度思ったことだろう。トラタニさんはウシヤマさんが苦手だ。

 

 その時、それまで黙ってパスタを口に運んでいたヒツジダさんがフォークを置くと口を拭って、「私はね、」と話し始めた。

「私はそういうとき、その人の前で踊ってやろうか、って考えるのよ」 

 そう言うとヒツジダさんはニッと笑って、踊るように両腕をちょっと動かしておどけてみせる。「ほら、音漏れに合わせてさ」

「それ、いいですね!」

 想像すると可笑しくて、トラタニさんも思わず笑ってしまった。

「でしょ? もちろん、本当にやるわけじゃないけど、どうせなら面白いこと考えた方が楽しいじゃない?」

 

 隣りでウシヤマさんは知らん顔をしていたけれど、トラタニさんはヒツジダさんの考え方が気に入った。そうして、今度なにかあったら、「ヒツジダさんならこういう時、どういうふうに考えるだろう」と、想像してみようと心に決めた。

 

 そうだ。たとえばウシヤマさんのことなら、どうだろう。ヒツジダさんなら、「ウシヤマさんは独特な視点を持った面白い人だ」と考えるだろうか。トラタニさん的には、「ウシヤマさんは、独特な視点を持った面白い人だと自分のことを思っている面白い人」だけど、それでも「面白い人」だと思ってみたら、ウシヤマさんへの苦手意識は少し減った。

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右岸のウコン

2019/ 04/ 10 (水)

 事務所のそばの、薄い黄色のウコンザクラ。

 先週も同じ橋を渡ったのに、桜色にばかり気を取られ、見逃していたらしい。立ち止まってよく見れば、橋を囲むようにして両岸にウコン桜が咲いていた。

 

 毎年、黄色い鬱金桜か、緑の御衣黄(ギョイコウ)をどこかに観に行きたくなるけれど、今年は無理だろうな……と思っていた。それがこんな身近にあったとは嬉しい。来年はもっと早くからこの花が咲くのを見守ろうと、楽しみが増えた。

 

 写真は昨日撮ったもので、今日は冷たい雨の一日だった。

 一時間かけて、新しく受講生になる人達の名札を作った。ホルダーは使いまわしなので、前期の人の名札を抜いて、今期の人の名札に差し替える。携わっていない講座のものではあるけれど、そこはほら、「雑用の達人」の出番である。私が行っているA区では、区の方で名札を用意しておいてくれるのだが、それも「誰か」がやってくれているのだな……。

 

 名前を45個印刷したのを切り離し、一枚一枚ホルダーに入れていく。当たり前だけど真っ直ぐに切って、真っ直ぐ真ん中に入れる。汚れた(ボールペンなどペンの痕がつけられている)ホルダーは避ける。蓋はぴっちりと留め、ストラップは真っ直ぐに伸ばして、長さを調節する為の金具も一定の位置に戻した。

 

 そうしておけば、誰も、何も、思わない。

 ただの名札だ。 

 誰にも何の関心も持たれない仕上がりが、正解だ。

 

 雑な裁断だったり、汚れていたり、曲がっていたり、いかにもな使い回し感があったりすると、中には「あれ?」と思う人がいるかもしれない。だからといって文句も出ないだろうし、名前さえ間違っていなければ問題はない。間違っていたって直せばいいくらいのものかもしれない。

 でも、「ちゃ〜んと」できていたら、だ〜れもな〜んにも感想を持たずに首に掛ける。目指すのはそこだ。

 

 私も、自分が行っているB区の名札について、今まで何も関心を持たなかった。ちゃんとできていたからだ。何か不備があれば「どういう人が作ったんだろう?」と考え、問題がなければそこに「人の手」があることを忘れてしまう。

 

「ちゃんとしているのが当たり前だと思ってはいけない。どんな些細なことでも、誰かがやってくれているのだということをいつだって、何だって、忘れてはいけない」とかなんとかお説教されそうだけれども、実際、「ちゃんとしているもの」については背景を見逃しがちではないだろうか。「ちゃんとしていないもの」を見つけて文句を言う人の方が、「ちゃんとしているもの」を認めたり感謝する人よりずっと多いのが現実だろう。

 

 雑用の達人としては、ちゃんとしていて見逃されるような仕事をしていこうと思うのであった。

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