和らぐ

2020/ 06/ 02 (火)

 

 歩くといえば犬の散歩に行くだけ。静かなところばかり選んで歩いていた。その脚を、昨日はひとりで駅の方へ向けた。人通りは以前の通り。店頭にワゴンを出して、持ち帰り用のお弁当を売っている店がいくつもあるのが新鮮で、どこか違う街に来たような気分になった。取り壊された店もあり、何があったのか思い出せない。丸3ヶ月の間に、ほんの10分かそこらしか離れていない場所が、随分と遠いところになっていたんだと感じた。

 

 2ヶ月ぶりに美容院に行った。髪もだいぶ伸びていた。受付で文書による軽い健康チェックがあり、手を消毒し、使い捨てマスクを提供された。(マスクをしたまま施術するので、汚れてもいいように、家からしていったマスクと取り替えておく) 普段はしないサイズの大きなマスクをした滑稽な顔が鏡に現れた。椅子と椅子の間は透明なシートで区切られていて、そのせいで、遠くを見るとゆらゆらと視界が歪む。まるで水槽の中にいるみたいだった。

 

 髪は、とりあえず長さを活かすことにした。伸ばすなら今がチャンスだ。日差しの強くなるこれからの季節、首の後ろが隠れるのはありがたい。(……とか言いながら、来週には切ってしまうかもしれないんだけど)

 

 本当は、外出するのがとても嫌になっていた。「そろそろ事務所の手伝いに出てくれませんか」と打診されただけで、ドキドキが止まらなくなったくらいだった。今だって、できればずっと家にいたい。それでも、歩き出してみれば身体はすぐ街の空気に馴染んでいく。そうそう、こんな感じだったと思えば、3ヶ月前と何も変わらない。私は私だ。どこへでも行ける! ……そんな風にして、いつか警戒心も緩んでいってしまうとしたら問題だが、どんな状況にでも慣れていく方が楽になれる。

 

 白いシューズを買った。どこどこの何々と言えば体裁もいいのかもしれないけれど、端的に言えば「白い運動靴」だ。

 ワンピースでもスカートでも、今年は運動靴を履いて歩く。私にとってはちょっとした冒険だ。

 

 華奢なサンダルやパンプスとはサヨウナラ(捨てないけど)。

 地面と脚に優しくあれかし。

 

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その結末はやめて

2020/ 05/ 29 (金)

 海外ドラマは話数が多い上に何シーズンか続くのだが、最終回まで観ないことがある。夢中になって観ていたにも関わらず、最終シーズンに入ったあたりで放置してしまうのだ。飽きるわけではない。好きだからこそ「終わり」が見えてくるのがいや。特に、「誰か死んじゃうんじゃない?」という気がしてくると、もうだめだ。


「シリーズを通して世界平和のために戦ってきたこの人は、最後まで殺されないで済む?」「中盤でやっと結ばれたこのカップルの幸せは、最後まで続く?」などと、先のことが心配になってしまう。つまり、既にいい感じに話がまとまってきて、この辺で終わりにしてもよさそうなのにまだ続きがある……ということが不安なのだ。今の「いい感じ」が壊れる結末なら、知りたくない。暗い気持ちにさせられたくない。

 

 

 現実世界で言えば、人は必ず最後には死ぬし、どんな二人にも別離の時はくる。でも、TVドラマは「おはなし」だ。私としては、長く観て来たからこそ、余韻が残る最終回であってほしい。エンドマークが出たあとも、「あの後みんな、どうしているだろう」と想像したくなるようなものが好きなのかもしれない。

 

 しばらく前までは、"They lived happily ever after"なんてそれこそ「おとぎ話」で、特に恋愛なんか成就した後が大変なんだよ、……なーんて斜めに見ていたのに、今は「めでたしめでたし」にならないことを恐れている。なんなら、予めハッピーエンドだと分かっていた方が安心して観ていられる。

 

 最後の最後まで分からないことを楽しめないなんて、堪え性がなくなったのかな。それとも、いろいろパターンを知りすぎて、先が見えてしまう(見てしまう)のがいけないのかしら。

 

 

 先日、『太陽は動かない』というWOWOWのドラマを観た。心臓に爆弾を埋め込まれた産業スパイエージェント達の話なのだが、第一話が終わったところで娘が、既に原作を読んだ私に聞いてきた。


「ねえねえ、このふたり(藤原竜也と竹内涼真)って、どっちも最後まで死なない? 生きてる?」

 

 その答えによって、続きを観るかどうかを決めるのだという。(WOWOWを解約したばかりなので、再契約するかどうかを決めるという意味でもあるのだが)

 

 なるほど、この親にしてこの子ありね……

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合成甘味料使用

2020/ 05/ 27 (水)

 来月からいろいろなことが「再開」されようとしている。ピアノのレッスンもそのひとつだが、3ヶ月の間サボりまくった私は、いったいどの曲を先生に見てもらえばいいんだろう。いくつか弾いてみたけれど、指もすっかりなまっている。

 

 You Tubeには親切な動画がたくさんあって、正にその曲の解説や弾き方のレクチャーを見つけた。色々な人の「トリルの練習法」なども観た。プロの演奏も聴きまくってやる気が湧いてきた。

 

 こういう時に頭をかすめるのは、「休んでいた3ヶ月間を無駄にせず練習していたら、今はどれほど上手くなっていただろう」ということだが、実際に3ヶ月前に戻ったら、きっと同じような3ヶ月を過ごすんだろう……。

 

 ピアノに限らず、自粛の間に本当は何が出来たんだろうか……と考えると、とてつもなく無駄に過ごしてしまった気がしてくる。でも、本当にそうだろうか? 「これをしました」と言えることが何もないにしても、家事(特に日々の料理)をこなして心身ともに健康に過ごせたんだから、それでいいんじゃないの?  「何もしなかった」とか、「あれができたかも」とか、今さら後悔したってドヨンとするだけじゃないの。

(いや、少しは反省しなさいよ!)

 

 動き出すのはこれからだ。

 

 ……と、3ヶ月後にも書いていませんように!

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