人違いちがい

2019/ 03/ 04 (月)

 雨の日曜日。クリニックの帰りに立ち寄った大型スーパーの食品売り場は、回れ右をして帰りたくなるほど混んでいた。家族で買い物をしている人が多く、カート1台を数人が囲んで歩いている。子供の不機嫌な声もあちらこちらから聞こえた。

 

 そんな中、少し疲れていたこともあり、私はいろんなスイッチを切って……簡単に言うとボーッとしながら、一番外側の、広い通路を歩いていた。通路が広い分、人の数も多い場所だ。買いたかった菜の花をカゴに入れ、あとは会計に並ぶだけだった。

 

 そこで、

「わぁーー……、こんにちはー」と、
 ものすごく、懐かしそうに言う声が横を通った。

 え? 私のこと?

 

 元より人の顔はぼんやりとしか認識していないので、誰とすれ違っても分からないことがほとんどだ。正直なところ、わざと気づかないようにしているところもあるし、そのスーパーで偶然に会う可能性のある人も、会いたい人も、いないに等しい。

 

 それでも「私?」と思ったのは、声がまっすぐ届いたからだ。通り過ぎた声の方を振り返ると、人やワゴン越しの、2メートル以上先向こうに、立ち止まってニコニコこちらを見ている女性がいて目が合う。やっぱり私? でも、どなた?

 

 だれか、知っている人に似ている顔だ。と、思った。親しみや懐かしさもある。だけどピンと来ない。どこかで知り合った人だったかしら……? どこで?

 

 さっきまでぼーっとしていた頭がゆっくりと回転し始めて、なんとなーく、もやもやが晴れそうになったとき、相手の方が急に否定するように目の前で手を振った。「あ、いいんですいいんです。間違えました!」と言う。

 

 なんだ、やっぱり間違えかとほっとして、脳内検索をストップし、いいんですよー……と会釈して元の方向に歩き出す。私はマスクをしていたし、まあ、ありふれた顔だから間違えられることもある。

 

 ところが、そうして数歩歩いたら突然、誰だったのかを思い出した。2年位前に同じ教室でろうどくをしていた人だ。短い期間在籍して、仕事か何かの都合で突然辞めてしまった人だ。あー、名前は思い出せない。

 

 でも、そうだ、きっとあの人だ。何かの時に「サクライさんのようになりたい」と言ってくれた人だ。「え? 私?」と思ったけれど、とても嬉しかったじゃないか、どうして忘れちゃってるんだよぉーーーー。

 

 追いかけて挨拶し直したくなったけれど、スーパーは混み合っていて見つけるのは難しいだろうし、そこまでやるのも変な話。お互いに連れもいたから、彼女にしても、きょとんとしている私に説明するのもあの場にそぐわないと判断して、切り上げたんだろう。そういう気遣いをしそうな人だ。

 

 あのとき、どちらにしろ立ち話ができる状況ではなかったのだから、わけが解んないままでも「こんにちはー!」と返せればそれでよかった。「だれだっけ?」は、後からゆっくり考えればよかったじゃんと、悔やまれてならない。ああ、覚えていないんだなと、彼女をがっかりさせてしまったに違いない。せっかく声をかけてくれたのに……。

 

 教室に居たときから、何か、親しみを感じる人だった。(だったら忘れるなよ、だけど) そういう人には、きっとまた、どこかでお会いできるだろう。その時は、この日のことを謝ろう。ああ、もう一度会えますように!

 

 家に帰り着いた頃にやっと、名前も思い出した。

 がんばれ、私の脳みそ。

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映えない日常

2019/ 03/ 01 (金)

 実家に預けていた植物たちの半分と、ガーデンチェアーやテーブルを持ち帰った。以前はずっと西側のルーフバルコニーの方に放置していたテーブルだが、広々ときれいになった南側のベランダに設置。早速そこでひとりランチをすることにして、サンドイッチにスープ、ヨーグルトにコーヒーをトレイに乗せて運んだ。

 

 鉢植えの沈丁花がかすかに香り、バラも新しい芽を出している。コーヒーを片手に空を見上げ、ああ、優雅だねえ、こんな時間が欲しかったのだわぁ……と浸ったのも3分。

 

 飽きた。

 

 ふとリビングの方を見ると、窓の向こうから愛犬が「なにやってんの?」という顔でこちらを見ている。だよねー……こんなことやってる場合じゃない。

 

 これがホテルであったり、あるいは、お手伝いさんがいて食事を運んでくれて、また片してくれるのであったら……つまり、他にすることのない状態であったらもっとリラックスできるのかもしれない。

 

 いや、頭の中の「他にやらなきゃならないことあれこれ」を消さなければ、どんな場所で何をしたって小者の私はリラックスできないのだ。

 

 草原で大の字になればたぶん、虫のことが気になるだろうし、思い描くと素敵でも、実際にしてみると何やら他のことが気にかかりそうで、もはや、想像にとどめておくのが一番のリラックスかもしれない。

 

 灯りを消してキャンドルを灯そうが、お風呂だってゆっくり入れない。瞑想もうまくできない。そんなことしている時間があったら……と思ってしまう。ある意味では、時間に余裕があるせいなのかな。本当に一分一秒が惜しいほど(個人的なことを考える暇がないほど)に「仕事」が忙しかったら、是が非でも「リラックス」の時間を確保するのかもしれない。

 

 考えても考えても、どうしようもないことは多々あって、考えずにいたいのに、
 なにもせず、なんにも考えずにボーっとするのが、いつも一番、難しい。

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そういえばの罠

2019/ 02/ 19 (火)

 そういえば最近、電車の中でお化粧する人を見ていないわと気づいて、あれはもう廃れたのかなと娘に問うと、「まだ見ることあるよ」と当然のように返されたのが昨晩のこと。その昨日の今日、電車に乗って立っていたら私の眼の前の席が空いた。座りたかったけれど、隣りのつり革の大柄な女の子がぐぐぐーと寄って来たので、そんなに座りたいならどうぞという感じでその席を譲ると、腰掛けたとたんに彼女は化粧を始めた。それで、あー、やっぱりまだいるんだと納得した次第。

 

 話題にしたとたん、そのことに遭遇するというのは、たまに経験することだ。たぶん、意識していなかったことを意識するから、そのことに目が行く、という側面もあるんだろうけれど、「最近、あの病院に行っていないな」と思ったら数日後、そこに行かなければならない状況になるとか、そういうことも間々あるから不用意に変なことを思い出したくない。 

 

 先日、実家に行く途中の乗り換え駅で、次に乗るはずだった路線が人身事故で止まった。仕方なく別の線でぐるーっと回って、反対方向から攻めることにしたら、うん十年ぶりにとある私鉄に乗ることになった。よく利用していたわけではないので景色に見覚えはないけれど、駅名がいちいち懐かしい。その辺りから通っていた同級生や、親しくなった他校の男の子がいた。忘れたも同然だった高校時代のことがズルズルと思い出され、いくつかは、駅ごとにエピソードがあるなと思ったけれど、バババッと黒板消しで消すように、回想は止めた。

 

 当時の私はその時代を楽しんでいた。でも、今の私はその頃の自分が好きではない。なんとなく「あの子イヤな子だったな」と、他人の目で思い返してしまう。だから、実は旧友にも会いたくない。「そういえばあの頃さ」で始まる話には、私のイヤな私しか登場しない気がするのだ。「私もバカだったけどあなたもバカだったねー」と過去を笑い合う体験をしていないせいかもしれない。

 

 誰のことも悪くは思い出さないのに、自分のことだけ悪く思っている。


 そうすることで、なにかから自分を守っている気もするのだけれど、深くは考えまい。

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