短冊

2020/ 07/ 07 (火)

 スーパーの片隅に七夕の笹飾りが置いてあった。テーブルにはペンが何本か転がっていたけれど、白紙の短冊はもうなかった。

 

 笹にかけられた短冊に書かれていた願い事は、「コロナが終わりますように」というのがほとんどだった。幼い文字で「こるながいなくなりますよに」というのもあった。「ろ」が勢い余って「る」になっているのが可愛い。そしてせつない。

 

 他のお願いも、コロナに関連していた。早く旅行に行きたいとか、おじいちゃんやおばあちゃんに会いたいとか……。例年よく見かける「字がうまくなりますように」や「リレーで一番になりますように」といった”自分でがんばれよ”的なものは、私が見る限りなかったのが印象的だった。

 

 子供の頃、短冊に願い事や夢を書くのが恥ずかしかった。いや、今でも恥ずかしいかな。

 本当の願い事なんて書けない。

 

 でも、今年は短冊を渡されたら迷わず「コロナが終わりますように」と書いただろう。願って叶うなら何枚だって書くだろう。「大きな災害が起こりませんように!」も書くだろう。いやもう、「起こさないで!」って書きたい。

 

 思えば子供の頃、そういうことを書いた短冊を見たことがあっただろうか……。大きく「世界平和」はあったとしても、今ほど身近に起こる災害や疫病を恐れてはいなかったように思う。もちろん、住んでいる地域にもよるだろうけれど……。

 

 来年はどんな短冊を見るだろう。

「みっちゃんと隣りの席になれますように」とか、ふっと笑える短冊に出会えますように。

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それでも読みたい

2020/ 07/ 06 (月)

 

 私のブログはもちろんのこと、ちゃんとたくさん読まれているブログも有益なブログも有名人のブログも、web上のほとんどの文章は無料で読むことができる。無料だから、タイトルに釣られてクリックしてしまっても、「違うな」と思えば戻ればいいし、何気なく開いて面白かったら過去ログまで続けてダラダラ見ることができる。無料だから、好きじゃないと分かっているのに見ちゃったりして、後悔を繰り返したりもする。

 

 もしも、1記事100円とかの有料だったら、そんな簡単にあちこち開こうとはしないだろう。

 

 書く方としても、もしもここが有料だったら、申し訳なくて更新ができそうにない。その前に、見に来てくれる人がゼロになる。ゼロだからといって「誰も見てないから何でも書いてしまえ!」というのも性格的にできないから、早々にやめてしまうことになるだろう。

 

 世の中はサブスク流行りだ。

「月に1000円支払わなければ読めないweb上のエッセイを購読するか否か」ということを半日ばかり迷った。

 

 もしも、「(今わたしの頭に浮かんでいる)好きな人」の文章が月に1000円払えばいつでも読めるとしたら、きっと迷うことはない。考え方に共感できる部分があると分かっている人、更新が楽しみでならなくなると分かっている人、何よりその人の「今」をもっと知りたい人のブログだ。今は存在しているかどうかも知らないが、存在しているとして、お金を払ったら読めるようになるのだとしたら、そんなチャンスは逃せないに決まっている。1000円じゃ安いくらいだ……というか、お金には替えられない。ああ、読みたいなぁ。もう書いてくれないのかな。月1万円くらいにして、私にだけこっそりタダで読ませてほしい。

 

 そんなことを考えていたら、まあ、そこまで恋焦がれる対象ではないとはいえ、出版された本も読んでいて興味のあるこの方のnoteを、読みたいなら購読すればいいじゃん……と思えてきた。目にするたびに「どうせ私には読めない」と思うより、「楽しみ」にしていたい。

 

 読みたいものを、読みたい。

 

「ご自由にお取りください」も、もちろんいいんだけれど、こちらが選んで手元に配達してもらうような特別感が、有料のものにはある。今のところ「トゥースなもの」になっている。

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ゴムひも跳躍

2020/ 07/ 02 (木)

「高さ15メートルのバンジージャンプがあったんで、それならビルの3階くらいだし、俺、全然平気だぜって、彼女を下で待たせて登ったんだけど、上に行ったら怖くなって15分くらい跳べなかったです」と、二十代の子が話す。彼女は下からずっとビデオを撮っていて、全身から「早く跳べ!」という圧が発せられていたそうだ。(ちなみに、「バンジー」とは「ゴム紐」のことらしい)

 私なら、さーっと登ってさっさと飛び降りる人と、いざとなったら怖くなって逡巡する人、どちらが好きかといえば後者かもしれない。もちろん、蹲み込んでいつまでもメソメソされたらかなわないし、上まで行ったからには、よきところで跳んでほしいけど。

 

 でもあれだ。「これくらい跳べるぜ」と言って男らしさアピールするためにバンジーする人は、そもそも好きじゃないかもしれない。男らしさなんかより、いい人間であることをアピールしてくれ。……まあ、そんなことはどうでもいい。この先私のためにバンジーに挑戦する人なんて現れない。来世に生まれ変わっても、現れてくれなくていい。「いいよ! そんなことしなくたって!」と、かなり本気で怒って、たぶん嫌いになる。怖いこと(スリルを感じること)、危ないこと、基本的に苦手だ。そして、キャーキャー怖がるのも苦手だ。それについては何か過去のエピソードがある気もするけれど、忘れているなら思い出さないに限る。

 

(もう、何が言いたかったのかわからなくなってきた)

 

 今、ピロロンと、セブンイレブンのアプリからおにぎりのクーポンが届いた。ときどき通知が来るけれど使ったことはない。じゃあ、なんでアプリをインストールしたのかといえば、3月だったか、セブンでおにぎりを買って、いつものように「クーポンはお持ちですか?」「いいえ」のやり取りをして会計した後で、レジのおばちゃんが親切にも「あのね、こういうクーポンがあってね、今週末にもほにゃららだから、アプリ使わないと損よ〜」と明るく教えてくれるから思わず「そうなんですか! ありがとうございます!」と、その場でアプリを入れたのだ。なんという八方美人。それ以来、どこのセブンにも行っていない。こういうのは、頻繁にコンビニで買い物をする人には便利だけど、クーポンがあるから買いに行く……というものでもないだろう。それとも、小さな得をしないのは、小さな損を重ねていることになるんだろうか。おばちゃん、親切を無にしてごめんなさい。

 

「奥さん奥さん、今ね、あそこのバンジージャンプ跳んだ人に、世界一周旅行をプレゼントしてるのよ! 跳ばなきゃ損よ!」って言われたらどうだろう。

 ……それでも跳ばない。ご褒美がなんであれ、跳ばない。

 

 ただ、愛する者の命ためになら跳ぶだろうな……

 

「ねえ、もしも悪者が彼女に銃口を向けてて、バンジー跳ばないと助けられないとしたらすぐに跳べた?」

「え? あぁーーーどうかなぁ……。ちなみにその彼女とはもう別れました」

 

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 *昨日は、ここに載せるつもりで書いたテキストを、なんとなく、noteの方に貼りたくなって貼りました。未読で、お時間の少しある方はnoteもどうぞ。浮気性なんです。