お久しぶりです

2017/11/24(金)

一年ぶりに集まる友人たちとのランチ。丸の内のビルの谷間の風は強い。イチョウもまだ青く暗く立ち並ぶ。けれども、交差点ごとに覗いた皇居の方は金色で、きらきらと別世界のように明るく美しかった。

最近どう? といえば自ずと体調の話になる。そんな年頃の主婦の集まりだ。共通の知り合いのこと、子の話、親の話、海外旅行の話などなど、感心したり共感したり、笑ったり、笑われたり、ちょっと贅沢なランチと共に、楽しい時間はあっという間に過ぎた。

そうして帰りの電車にひとり揺られながら、ふと、私は私のことをまた、自分からは話さなかったなと気づく。

隠すことはないし、話すこともあるけれど、特に明かしたい訳ではなく、「サクライさんは?」と聞かれない限り、「私は、」とか「私も、」と言い出せない。話したい人が話したいことを話している時間を膨らませながら、ほとんど聞き手となって楽しんでいた。

たぶん、話題の中心になって、みんなの目を集め続けるのが苦手だからだ。それでいつの間にか、秘密でもないのに「言ってないこと」が増えていく。

そんな私がブログをやっているのもおかしな話なのかもしれない。リアルで話さないようなことを書けるわけもなく、あまり話したがらないスタンスは一緒。みんなのブログを読むばかりで黙っているうちに、一ヶ月以上経ってしまった。

ご心配をおかけしていたら本当に申し訳ありません。
私は元気で、割りと充実した日々を過ごしています。


ざらりよりさらり

2017/10/16(月)

 

雨の日が続いている。
急に寒くなってきて、薄い毛布を引っ張り出したり、クッションカバーをふわふわに替えたり、加湿器を出したりなどという準備が楽しい。ひとつ冬仕様に替えるたびに、ひとつ温かくなる。手に触れるぬくもりが嬉しい。


最近、NHKで放送している『この声をきみに』を楽しみに観ている。朗読教室が主な舞台となっていて、人の心や情景を想像することが苦手な数学者を竹野内豊が演じている。その彼に、先生役の麻生久美子が「想像力さえあれば、人は声で繋がる」と語る場面があった。朗読は、読み手の想像力と聞き手の想像力で成り立っているということを改めて考えさせられた。


それはブログも同じなのかもしれない。想像しながら読んでくれる人がいるから、書いていることに意味ができる。内容を正しく想像して欲しいわけではなく、読んだ人の頭の中で、その人自身の記憶に寄り添ったエピソードにリンクしたらいいなと思う。それが「文章で繋がる」ということになるのかもしれない。

 

でも、残念ながら誰とでもそれができるわけではないらしい。好んで読んでくれている人とは、おそらく想像の波長が合うのだろうが、反対に、どうしても波長の合わない人もいるだろう。それはたぶんお互いさまで、どちらが正しいということもない。手触りが好みじゃななければ、わざわざ触らなくてもいい。ちょっと離れたところに置いておけばいいだけのこと。


世の中、意のままにならないことも多いけれど、じぶんで選べるものくらい、心地よいものを身の周りに集めて穏やかにいきましょうぞ。


ミスミスミオ

2017/10/13(金)

オキザリス・トライアングラリス

 

この写真では分かりにくいけれど、大きな三角形の葉が3つでひとつの葉になっている。三角形の葉が珍しくて買ってから3,4年だろうか。冬の間、地上部は枯れてしまうので姿が見えない。今年はいつまで元気で外にいるだろう。


三角といえば昔、三角(みすみ)という名字の同級生がいた。小学校の4年の頃に転校して来た男の子だ。それまで三角形の「サンカク」しか知らなかったから、同じ字を「ミスミ」と読むのが新鮮で、その読み方を知ったことが、ほんの少し誇らしくもあった覚えがある。


ミスミくんはその名前から、「すみっこ」と呼ばれていた。あだ名の通り、小柄であまり目立たない男の子だった。転校生だから遠慮していたのだろうか。三角形の狭い隅っこに三角座りしてニコニコしているイメージだった。


でも、今にして思うと、ミスミくんの「スミ」は「隅」ではなく「角」だ。同じコーナーでも、内側から見た「隅」ではなく、外から見た「角」を現している。ということは、隅っこで大人しくニコニコしているのは仮の姿で、実はパキッと角ばって、尖っていたのかもしれない。しかも、三角形の角だからかなり鋭角だ。


……などということをつらつらと書いている秋の夜。
ミスミくんの下の名前はなんだったっけ。