持ち出すのはひとつ

2020/ 08/ 03 (月)

 日曜日、娘とふたりで防災用品の点検をした。本当は毎年チェックするべきところを、何年か怠っていたのだが、先日の緊急地震速報にビビって着手したのだ。

 

 賞味期限を切れた保存食があった。水はまだたくさんあったが、切れているものも数本あった。箱から出してみたら劣化していた便利グッズがあったり、今じゃ使えない充電アダプターが入っていたりする。チェックリストを見ながら確認していくと、足りないものがまだまだあった。とりあえず間に合うものだけを一時持ち出しのリュックに入れたのだが、既にいっぱいだ。

 

 このリュックを背負って、貴重品の袋も入れて、それに犬を入れたキャリーを持って、ひとりで避難できるんだろうか?

 

 二次持ち出しはこれ、備蓄品はこれこれで……と、いくら準備していっても、備えあれば憂い無しとはいかない。だんだん憂鬱になって、思っていた以上に疲れてしまった。

 

 結局さ、命が助かればいいよ。命を安全に持ち出す。大事なのはそこだよ。

 

 何度もそう言い合いながらも、「あった方がいいもの」のリストは長くなる。

 無い方がいいのは、災害だけ。

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ちょっと怖い偶然

2020/ 07/ 31 (金)

 高校の時の担任教師(男性)を、我が家の最寄り駅で見かけたと娘から聞いたのは、今年のいつだっただろう。

 

 卒業して、何年ぶり? まだ母校にいるのは知っていたけれど、どうして先生がその駅前にいたのか、そもそも本当にその先生だったのか、気になった娘は、これも何年かぶりで先生にDMを送った。先生は当時から、個人的なツイートをするアカウントを隠すこともしなかったから、誰でも(生徒の親でも)フォローができた。もっとも、内容は本当に個人的な趣味に偏っていたから、見ても面白くないとは娘の弁。(その頃20代の後半だったから、今は40近いだろうか…)

 

 先生からはすぐに返事が来た。最近その駅を利用する地に引っ越して来たのだという。同じ駅という偶然に驚きながら、ついでに先生の最近のツイートを見てみたら、近所の犬が狂ったように鳴いているとか、上の階の人の物音が気になるというようなことを書いていたらしい。もちろん、それだけでは、どこに住んでいるのかまでは分からない。娘もそこまで聞かなかったし、興味もなかった。また駅で見かけたら、声をかけてみようかな、というくらいのことだった。

 

 それからしばらくした最近のこと。未だ在宅勤務の娘と朝の犬の散歩をして家の近くまで戻って来たときだ。通りの脇のアパートから出て来て、前をずんずんと歩いて行く人がいた。あの格好は会社員ではないし、学生でもない。何の職業だろう。ちょっと洒落たバッグを下げているなーと思って私は見ていたのだが、充分にその背中が離れた時に娘が、「あれ、○○先生だ」と小声で言ったから驚いた。「ほんと?」「絶対そう」

 

 だとすれば、だ。先生の住まいは我が家のあるマンションの真裏ということになる。

「先生が”近所の犬がうるさい”ってツイートしてたの、ここの柴犬のことだったのか…」と娘が言う。

 建物は2階建てなので、

「上の住人の物音のことを言ってたから、一階に住んでるってことだよね」

 

 おお、こわい。わかってしまったではないか。


だからなに、ということもない。その教師に特別な興味もない。ただ、よりによってこんな近くで、建物まで特定できてしまったという偶然が怖い。

 

 北側のベランダに出て何気なく見下ろせば、先生の住む小洒落たアパートの一階の窓がすべて見下ろせる。そのうちのどの部屋かは、まだ分からない。分かりたくもないから急いで目を反らす。

 

 隣りの庭先で柴犬が甲高く鳴いている。

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ざらざらするり

2020/ 07/ 17 (金)

 

一緒に遊んだり長電話するような友人がほとんどいないことには何の寂しさも感じていないが、「私を分かってくれる人なんかいなくたっていい!」なんて言えないくらいには寂しがりである。だからここにいる。

 

現実の忙しさの中でネットから離れると、ブログもSNSも生活に必要ないように思える。スマホを見ることも忘れる。でも時間ができた時、その忙しさや、ネットが必要ない気がした云々を語れる場所もまた、ネットにしかない。

 

ざらざらとした分かり合えないものも多々あって、この世界の肌触りは決してよくない。けれども、手を伸ばして伸ばしていくと、時にするりとした感触を指先に感じることがある。寝苦しい夜にシーツの冷たい部分を見つけたみたいにホッとするその瞬間を求めて、ブログを書いたり読んだりを続けている気がしてきた。じっとしているとまた指先が温まってしまうから、じりじりと動かす(更新する)のだ。(えーと、冬になったらどういう例えをしようか……)

 

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先日、いつもこっそり読ませて頂いているブログ(BOOTS STRAP)のこの記事に共感して、痛いほど膝を叩いた。

 

「ぼくに似た魂を持っていて」「ぼくを一人ぼっちにしない存在」(引用)

 

 

誰とも言えない(言ったら”似てなんかない”と言われそうな)そういう存在に、私も勝手に助けられている。

 

ともすればざらざらした手触りばかりが気になってしまうけれど、それもまた誰かにとっては「するり」。

私は私の「するり」でいこう。

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