たらたらにタイトルなどなく

2019/ 08/ 20 (火)

 思わせぶりに雷が鳴る。雨が少し降り出して、来るぞ来るぞと窓の外を期待して見ても一向に雨は強くならず、退屈になって目を離して次に見たら青い空が見えている。

 

 どうもここを見ている人は少なそうなのでせいぜい気楽に書こうじゃないかと思ったりなんかすれば口調も砕けてくるんだけど、こういうときに限って初めて見るという人がいらしたらまずいかなと思ったりなんだり……

 事務所で留守番をしていたら電話が鳴って、「イソザキですが、いつもどうもお世話になっています」と「私のことよく知ってますよね?」的な口調で月末の舞台のチケットの話を始められ、イソザキさんが言うには金曜のチケットの案内をいただいたが土曜のチケット2枚に替えてもらいたいということで代金は今日にも振り込むとおっしゃる。分かりましたそれではよろしくお願いいたしますと電話を切り、その由、上の人とのグループメール(3人)に報告しておいた。既読はすぐについた。

 ところが何の返事もない。ということは、私に返信するよりも先に早急にイソザキさんに連絡をとらなければならない事態なのかもしれない。もしかしてイソザキさんというのはものすごぉーーーく大切なお客様で、代金などいただかないのが当たり前であり、どうもうちの事務の者が何も知らずに失礼なことをいたしましてなことになっているのかもしれないとか、応対のどこかに間違いがあったんではなかろうかということを考え始めてしまった。あーめんどくさい「分かりました」とひとこと返信を下さい、返信を。

 とか言う私も返事を失念する大天才であるから人のことは言えない。頭の中でうんうんそうなのですと応えて送ったつもりになって宙に浮かんだままになっていることにたびたび気づかないでそのまますっかり忘れる大馬鹿者であるのはたぶん根本的に人づきあいが苦手で自分が大事で他者に冷たいんだと思う知らないけどたぶんそうなんだ。

 家に帰って5時間後、「ありがとうございました!」というスタンプがポンとひとつ送られてきた。ん、まあいいさ、イソザキさんご夫妻が土曜の舞台を見ることができればそれで全てはオーケーだ。私は行かないんだけれども……行った方がいいんだろうけれども差し入れのひとつでも持ってちゃんとチケット買って行った方がいいんだろうけれども、行った方が「いい」のはいったい何が「いい」んだい?

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毎夏おなじみのセミ・ファイナル

2019/ 08/ 19 (月)

 家でだらだらした一週間の休みも終わり、今日から平常営業! と思ったら、先方の都合で今日も「家にいていい日」になった。さて、どうしよう。でかけたついでにしようと思っていた買い物があるけれど、わざわざ行くほどでもない。お化粧も含め、出かける支度をしたくない。さりとて今日もこのままのんびりしていると、明日からがきっと辛い。ああ、どうしよう……というわけでブログに逃げているんだが、書きたいこともない。

 

 今朝、網戸と窓の間にセミが入り込んでいたので、網戸を動かしてうまく出られるように隙間を作っておいた。今見たら、そこにはいなくなっていたのだが、ベランダにセミが転がっていた。同じセミかどうかは分からない。「転がっていても生きている」んじゃないかと箒を近づけると、案の定、必死に羽を動かして、一度は壁にぶつかりながらも外に飛んで行った。

 

 その力があるのなら、人にちょっかいを出される前に飛んで行けばいいのに、なぜ脱力しているんだろう。できればそのまま仰向けで空を見つめていたかったんだろうか。いや、仰向けでもセミの目に空は映りそうにない。ということは、再び飛べる力が貯まるまで、お腹でソーラー充電しているのかもしれない。きっと、満充電できる回数はわずかなんだろうな。

 

 夏はゆっくり終わりに向かっている。

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棒読みのエオリアン

2019/ 08/ 13 (火)

 お盆休み。昨日今日と、昼間はひとりでのんびりしている。座ってばかりで久しぶりに腰が痛い。しばらくレッスンが休みだからとサボっていたピアノも練習した。一発目、すぐに腕の筋肉が緊張して痛くなった。しばらくすれば、指も腕も楽なポジションを思い出して勝手に動き出す。

 

 少しだけ手をつけていたショパンの「エオリアンハープ」に真面目に取り組み始めてどれくらい経ったのか覚えていないけれど、暗譜して一通り弾けるようにはなっている。が、テンポがまだ原曲まで上がっていない。右手も左手もアルペジオの連続で、それこそ筋トレのように練習して、少しずつ速く弾けるようになってきたけれど、もどかしい。右手の小指が飛躍するところで外すし、速度だけを追求すると、単なる早口のつまらないおしゃべりみたいになる。

 

 そういえば「早口言葉」を指導していると、自信を持ってトゥルルルル〜とテキストを「早く」読める人の中には、何を言っているのか分からない人がままある。ただ単に言葉が滑っていくだけだし声も小さい。むしろ早口言葉に苦手意識があって、最初はゆっくりひとつずつ発音していくような人の方が、練習しているうちに滑舌も鍛えられ、最終的には、なめらかに一息で言えるところに近づいていく。

 

 日本語を「読む」だけではなく「語り」にしていくためには、声の強弱、高低、緩急、様々に使い分けて表現することが必要だ。リズムや間のとり方も大事だ。同じテキストを読んでも、必ず人によって違いが出る。朗読も音楽も一緒だなあと、たびたび思う。

 

 さて、夕飯の支度を始めるまでもう少し。テンポを落として練習してみよう。

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