やりたきゃやりゃあいいじゃん

2018/ 11/ 16 (金)

 左が2013年にブログを更新した数、右が今年。

  

 激減。去年も似たようなものだ。

「以前は一生懸命やっていたのに、今はあんまりしなくなった」
 そういうものは他にもたくさんある。
 あんまりしないどころか、全くしなくなったこともある。
 なんであんなことに熱中していたんだろうと、思ったりもする。

 大抵のことは「趣味」の範囲だから、どうでもいいようなものなのだけど、ああ、あんなに街歩きを楽しんでいたのにとか、映画も観なくなった、物語も書けないぞ、英語も興味ないやと指折り考え出すと、「それに夢中だった過去の私」がやたら輝いてみえてくる。悔しいから「暇だったのねぇ」と、言ってやりたくもなる。

 確かに今より時間があったのかもしれない。でも、今その余裕があったとしても、同じことをする情熱がもうない。年のせいと言ってしまえば簡単だけど、なんだか自分は人間としてどこかが衰え、損なわれたような、柔軟さを失くしてつまらない人になったような気持ちになる。

 けれども、視点を変えれば、昔はしていなかったけれど、今はしている、ということだってある。
 過去に「やっていた私」の延長線上に今の私があるわけで、同じ自分のことであるなら、過去と比べなくてもよいのかもしれない。継続ばかりが力でもないだろう。

 

「今」のことだって、いつかは過去になる。
 来年はまた毎日のように書いているかもしれない。(……と、ここ数年言い続けているけど)
 あるいは、ブログはすっかりやめたけどインスタにハマる、ということもあるかもしれない。

 そんなの絶対にありえねーって思うけど、未来のことはわからないわけで。

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イクラちゃんか

2018/ 11/ 06 (火)

 何か注意や指導をされたなら「はい、分かりました」と受け入れれば終わる、という場面がある。周りに横並びで他の人がいれば尚更のこと、その場を早く終わらせたいと私は思う。でもKさんは必ず弁明をする。なぜそうなったか、話さずにいられない。「言い訳はやめなさい」とやんわり言われても、毎度同じことを繰り返している。

 

 決して見苦しい「言い訳」ではない。Kさんは真面目で勉強家だ。何かを誤魔化そうとして言い募っているのではないことは、聞いていても分かる。ただただ、「はい」だけで終わらすことができないのだ。

 

 例えば「そういうときはこのようにしなさい」と指導される。Kさんは「分かりました。このようにすればいいのですね」で終わればいいところを「そうですか。私はこうだと思ってああしていたのですが、このようにすればよかったのですね、ああ、そうだったんですねぇ……」と尻すぼみに続ける。納得していないのかと思って先生は別の言い方をする。それでもKさんが「はい」と終えずに続けるから、堂々巡りしてしまう。聞いているのも疲れるし、だんだん両者が気の毒になる。

 

 その時、他の仲間が小さな声でやさしくささやいた。
「KさんKさん、説明はしなくていいのよ」

 

 それだ。説明だ。
 自分の心情、事の成り行き、なぜ、どうして。
 Kさんは説明せずにはいられないのだ。普段の会話でも多少そういうところがあって、どちらかといえば話好きなKさんだ。気が利くし思いやりもある。

 

 私なんかは、「はい!」の達人だ。「はい!」で済ませたい。余計なことはしゃべらないどころか、言った方がいいことも言わなかったりする。今日も事務所で、「手伝いましょう」のひとことを言わなかったのを悔いている。

 

 でも、「手伝った方がよかったんじゃないだろうか」という後悔の裏にあるのは、単に「その方が好感度が上がっただろうな」くらいのことだ。自分の仕事の手を止めてまで手伝うべきかどうかの判断がつかなかっただけで、べつに横で黙って見ていたわけでもない。「手伝って」と言われれば喜んで「はい!」と言っただろう……というのは未熟者の証拠か。

 

「サクライさんは気が利かんな!」と言ってるだろうなと、リアルに耳の中で聞こえてしまうけれど、まあ、完璧にはいかないものよ。「Kさんにはもう少ししっかりしてもらわんと……」とか「S先生はあれだな」とか、内輪のいろんな「ぽろり」を全部聞かないことにして口外せずにいるわたくしの口の堅さこそ、「気が利いている」と思ってもらいたいものである。なーんてね。

 

 ああ、やっぱり、お手伝いすればよかったなぁ……。ちょっとだけ手を貸して喜ばせておいて、さっと手を引いてしまった。あのときの心境の変化は「説明」できるけど「言い訳」かな。

 

 事務所を出ると信じられないような大雨で、道路にも歩道にも雨が大量に流れていた。小学生たちが面白そうにその流れを踏んでいた。

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ぼく、だいじょうぶ?

2018/ 11/ 03 (土)

 バスが揺れた。左手で手すりを掴んでいたけれど、大きくよろけ、右足で後ろの誰かの足を踏んでしまった。反射的に「すみません!」と言うと、相手が「いってぇ〜〜」と小さく言った。その反応に少なからず驚いた。だから、体勢が整ってすぐ、その人の顔を見ながら「すみません。申し訳ありませんでした」と、改めて頭を下げた。

 

 40代くらいの、どこといって特徴のない男性だった。無言で恨めしそうに自分の足を見下ろしている。茶色のスポーティーな、革靴? それを踏んだ私の靴は、ウォーキング用の柔らかいゴム製のウエッジソールだ。簡単に傷をつけることはないだろうし、見たところ男性の靴にはどこといって変わりもない。もちろん足が折れた様子もなくしっかりと立っている。

 

 でもまあ、いくらゴム底でも、私が小柄でも、ブン! と踏まれれば痛いだろう。痛かったんだろう。私だったら思わず「痛っ!」と声が出たとしても、咄嗟に「大丈夫です」と返してしまうところだ。わざわざ「いってぇ〜〜」と言うのはよほど痛かったか、腹がたったんだろう。ああ、かわいそうに。

 

 私の降りるバス停はすぐに来た。もう一度「すみませんでした」とその人の方に軽く頭を下げてから、バスを降りた。

 

 自分のしたことを無駄に気にする傾向のある私だが、なんだろうなあ、今回は思い出してももふつふつと笑いたいような感覚になる。笑わないと腹が立ちそうだ。


 いやいや、よろけて足を踏んだのは申し訳ない。申し訳ないのに、申し訳ないんだけれども。

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