中身が見えない

2019/ 10/ 17 (木)

 台風の前に出した防災グッズを戻すついでに、玄関脇のクローゼットの中身を半分だけ整理した。奥行きがあるので、奥へ奥へと入り込んでいた物があり、「これってなんだろう」と引っ張り出して開けてみたら、浮き輪やらシュノーケルが出て来たりしてびっくりだ。コンテナや箱にはだいたい何が入っているのか書いて貼ってあるけれど、不透明な袋に入れたままのものは、数年たつと中身が思い出せない。今回、そういうものは全て透明な袋に入れ替えた。

 

 見えない袋に入ったまま、「私はこういう(駄目な)人間です」と、開き直り気味に性格を宣言する人をたまに見かける。それがマイナスイメージな言葉であればあるほど、なぜわざわざ言うのか分からない。そうやって透明な袋に入ったつもりなのかもしれないけれど、べたべたと貼り付けているレッテルのせいで、本当の中身が見えにくい上に、見方を強要されている気もする。……と、まあ、他人のことをあれこれ言いたい時というのは、自分自身に不満がある証拠らしい。(と、どこかで読んだ) 当たり。

 

「こういう私」にコンプレックスがあるから、そのレッテルを剥がそうと足掻いている。まあ、足掻き方も年齢なりの緩やかさにはなっているけれど……。そういう「足掻き」をかっこいいとかかっこ悪いでジャッジしがちな風潮も、なんだかなーと思う。

 

 見えない袋に入れて隠したところで、どんな人なのかは、少しずつ透けて見えてくるものだろう。

「こういう人なのかな?」と、だんだん分かってくるとか、なんとなく分かってくる……でいい。その印象を簡潔な言葉や記号に当てはめるのは好きじゃない。

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